だんなの同僚 Iさんが「ちょこにお願いして。」と言って古い手紙を渡してきた。なんでも、日本のグッズを売っている中古屋で素敵な引き出しを買ったら、その中から出てきたらしい。
へー、訳ありのラブレターだったりして。興味津々。
さて、開いてみると、どっかーん、予想外の内容に笑ってしまった。
すべてを載せるのは気が引けるので、一部公開。達筆だ。
さて、わかるかな?
なんと、これは選挙応援演説の原稿のようだ。
「皆さん、皆さんが有する清き尊き一票は榊、東谷に…。平和なる我が区民にくださるものと…。」
熱い。
しかも、参謀部なんて言葉もちらほら。
合計6ページに渡る応援演説。うぉー。
探偵のごとく探ってみる
ところで、「東川区」とあるのでネットで調べたが、多分北海道の東川町ではないかと思う。「区」とよんではあるものの、文章中に「村民」と何度も出てきていた。
調べると、東川町はこんな歴史を辿っている。
- 1897年(明治30年):旭川村から分轄し、東川と称す[13]。松山多米蔵が松山温泉(現在の天人峡温泉)発見[14]。
- 1899年(明治32年):東旭川村(後の東旭川町)戸長役場設置に伴い、旭川村から分離して東旭川村戸長役場の管轄となる[13]。
- 1906年(明治39年):2級町村制施行により、東川村となる。東旭川村、東川村組合役場設置[13]。
- 1959年(昭和34年):町制施行し、東川町となる[13]。
抜粋、引用 東川町 - Wikipedia
という事は、この原稿が書かれたのは明治〜昭和の辺りだろう。
選挙の歩み
日本で初めての選挙が行なわれたのは、1890年(明治23年)の衆(しゅう)議院議員選挙のとき。その前年に大日本帝国憲法(けんぽう)が発布(はっぷ)されている。
ただ、この選挙では、投票できる人は、直接国税(こくぜい)を15円*以上おさめている満25才以上の男性に限られていたので、全人口の1%の人しか投票できなかった。
*明治時代の物価は、もりそばが1銭、牛乳(1本)が3銭。これから今の物価で計算すると、当時の15円は、現在の60万~70万円ぐらいと思われる。
出典 センキョこどもサイト
https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/senkyo/kids/02_ayumi/index.htm
拙者と言う言葉を使っているけど、いつ頃の呼び方?
近世で武士によって使われていた。
近世っていつ?
江戸幕府の創立(1603)から明治維新による東京遷都(1869)まで、あるいは関ヶ原の戦い(1600)以降大政奉還(1867)に至る間をさす。
という事は、明治の頃に書かれた演説???
用箋に電話番号がある。北海道ならいつ頃に電話導入?
北海道で初めて電話が使用されたのは鉄道でした。1880年・明治13年、北海道で最初の鉄道・官営幌内鉄道が開通しました。ルートは手宮から札幌を経て、幌内に達するというものでした。
上記の情報からきっと1890年以降に書かれたものだろうと思う。
私がほとんど読める漢字、ひらがななどを考慮すると昭和の初期なのかな?まだ、拙者と言う古い言い方を引きずっていた人が書いた?
それとも、明治時代に書かれているなら、この手紙すごい発見か(ちなみに、明治は1868年10月23日から1912年7月30日の45年間)。
出てくる候補者の名前をネットで検索したが、何も手がかりなし。
さあ、I さん、この結果を聞いてどんな反応を示すだろうか?
Iさんとはついこの前会ったばかり。
choukoureimamanz.hatenablog.com