ちょこママnz

ニュージーランドでいろいろ感じること、ハッピーだなと思うことを書き留めたい。

お腹が痛かった、うっうっと診察台の上で泣く

月曜日はキングス・バースデーで祝日だったニュージーランド。お昼に餃子スープを作り、ついついおかわりまでして満腹〜。

 

と、1時間半くらいたった頃に、おヘソのあたりが収縮するような感じで始まり、痛くなってきた。横になっていると更に強くなってくる。「あ~、食あたり?でも、敏感なだんなは元気そうだ。食べ過ぎ?あ~。やっちゃったか」と思っていた。

 

痛みは波があって、すごーく痛いときと、ちょっと痛いときとがある。なんか陣痛みたいな感覚だ。

 

だんだん、ただ事ではないことを悟り、「だんな、ヘルスラインに電話して聞いて!」と健康相談ラインに相談する。

 

あまりに急激なこと、吐き気もあること、がん経験者であることも加味されたのだろう、「時間外か、緊急病院に行って。吐いたら救急車を呼んで!」と言われた。

 

そして、車で時間外に行く途中、「げー」(失礼しました)と何度も。

 

時間外の受付にたどり着くと、「すみません、袋ください。また嘔吐しそう」と言うと、紙製の嘔吐ボールを渡され、車を止めてやってきただんなが代わりに受付票を書いてくれた。

 

あまりにもボロボロだったんだろう。受付の人が何度も私の座っているところをチラチラ見ているのを感じた。

 

またちょっと「げー」。受付が電話で何やら話している。

 

「ちょこ!」と看護師が呼んでくれ、90分待ちの他の患者がうらやましそうにみるのを感じながら、優先で診察ベッドのある部屋へ。

 

あ~、横になれる。う〜、お腹痛い。

 

医師を待つ間、あまりにも痛くて「うっ、うっ」と小さい声で泣いてしまった。泣かないと我慢ができない。

 

そして、診察の結果…

 

「胆石かもね。痛いわよね。すごいボロボロだもんね。辛いでしょう」とお腹周りを触診しながら医師は言う。

 

「まず、口で溶ける吐き気止めの薬。そして、お尻に強力な消炎と痛み止めの注射をしましょう」。

 

20分もすると薬と注射が効いてきて、40分もすぎると「うそみたい!」と痛みと吐き気がなくなった。

 

ひょー、ありがとう現代医薬。なんか元気出てきてだんなとしゃべれる。バッグから息子の写真を出して見る余裕も出てきた。

 

明日の仕事は無理だな。あ~、子供の診察で休みを取る人の代理で入る予定だったが、ごめん、マネージャー。

 

57歳。診察台の上で泣く、初めての経験。痛かった〜。

 

日曜日〜。今週はロング・ウィークエンド

明日月曜日はキングス・バースデーということで祝日。土、日、月の3連休のニュージーランド。

 

今日は友人と8時集合、朝ごはんを食べにでかけた。

 

彼女のお仕事は朝早いので、そのルーティーンを崩さないためだろう、休日も早起き。

 

 

今日はガッツリ食べたい気持ちだったので、「ブレックファスト」を食べた。トースト、ポーチドエッグ、ハッシュドポテト、ソーセージ、ベーコン。お値段は20ドル、ちょこママ感覚で2,000円なり。ニュージーランドの外食は(いや、スーパーの食品も)高いな〜。

 

互いの子供の近況、仕事のことなど食べながらアップデート。このおしゃべりに元気をもらえるのよね。ありがたい。

 

先週の出勤時に撮った写真をご紹介。国会議事堂の敷地内を歩いて出勤って、「あ~、私はウエリントニアン(ウエリントン人)だな〜」となんか誇らしく思える。別に議事堂で働いているわけでもないのにね。あはは。

 

国会議事堂敷地内に堂々と右手を上げて立っている。さあ、誰だ

 

リチャード・ジョン・セドン(1845年6月22日 - 1906年6月10日)は、ニュージーランドの政治家。1893年から亡くなるまで第15代首相として活躍。13年間在任し、現在に至るまでニュージーランドで最も長く政府首脳を務めた人物。

出典:ウィキペディアRichard Seddon - Wikipedia

 

 

友達と別れたあとは、だんなとお出かけ。だんなの元同僚が一念発起してたてたファラフェルの屋台を冷やかしに行ったのだ。私はお腹いっぱいだったので食べなかったが、ピタブレッドを朝4時から焼き、かけるソースもすべて手作りで保存料無添加の一日しか使わない、かなりこだわりのある屋台だ。

 

ちなみに、ファラフェルもしくはファラーフェルアラビア語: فلافل (ArFalafel.ogg falaafil[ヘルプ/ファイル])、英語: Falafel)は、潰したひよこ豆そら豆に香辛料を混ぜ合わせ丸めて食用油で揚げた中東の料理。西洋料理のクロケットやそれを模して作られた日本料理コロッケなどに似た調理法を持つ、とのこと。(出典 ウィキペディア)

ja.wikipedia.org

 

 

彼は700人の大規模リストラに当たってしまい、ならば思い切って食べ物やさんをやってみたい、と一大決心したのだ。がんばれ~。応援するよ!

 

Wakefield StreetのAmora Hotel横に常設で出している、ピタブレッドとファラフェルの屋台。テ・パパにも近いので観光客にも来てもらえるといいな

 

 

守られている、の続き

前回、「守られている」の記事で色々と職場のことを書いた。ここで吐露してどうにか気持ちを落ち着かせることができつつある。

 

でも、このまま残していたらずーっと記憶に残しそうなので、「えぃ!」と非公開にしちゃいました!星をつけてく応援してくださった皆さん、ありがとうございます。コメントをくださったブロガーさん、ちゃんとコメントは保存できているので安心してください。「私の気持ちをわかってもらえた〜」ととても嬉しかったです。

 

前に進みます!

 

さて、職場で大変だったときに「あ、くじけないように守られている」と思うことがいくつかあったのだ。私にとって大切だな、と思っている人が何故か職場の入っているビルに来ていて、ばったりとあったのだ。しかも、複数名。

 

  1. ドクター・アシュレー・ブルームフィールド。コロナで動揺している国民を首相のジャシンダとともに引っ張っていってくれた人。彼がすぐとなりにいて、つい「あっ」と声が出てしまった。「ロック・ダウンを実施してくれてありがとう!私達の命を助けてくれてありがとう!」と言いたかったが、舞い上がってしまい何も言えなかった。が、一緒にいた女性が「そうよ、あのブルームフィールドさんよ」と言っているような笑顔で頷いていた。もう嬉しくてちょこっと頭を下げる動作をしてしまった。すると"Have a good day!"と爽やかにドクター・ブルームフィールドは言ってくれた。幸せ〜。
  2. 昔のお向かいさんのKさん。私の大好きだった犬のボストンの飼い主。確かに近くのガバメント・ビルで働いているのは知っていた。が、彼女がひょろっとうちのビルの入り口から同僚と思われる男性と入ってきた。「あ~、Kさん!ひさしぶり!」とちょっとだけおしゃべり。
  3. 大家さんの奥さん。なんか似た人がいるな〜、と思ったが彼女は公立病院の近くで働いているからこんな遠くにいるわけがない、と思って通り過ぎた。が、お客さんの名前を呼ぼうとシートをみると彼女の名前。「えー、大家さん!?」と呼ぶと「えー、ちょこ!?」とふたりともびっくり。当日は会社からのミーティングでうちのビルの貸し会議室に来ていたらしい。驚いた。
  4. 息子の小学校の校長。彼女もまたビルの入り口にいた。マスクをしていたので確信は持てなかったが、どうしても気になった。「あの、もしかして校長?」と聞くと「はい!」と同時ににっこり。えーーーーー。確か退職してから6年経ってて、つい先日「あ~、あの名物校長どうしてるかな〜?退職してボケてないといいけど」とふと思ったんだった。今目の前にいる彼女はちょっと痩せて、なんだか若くなったような。当日は教育委員会みたいな組織に呼ばれて顔を出したんだ、と言っていた。しかも、「今、新しいことを勉強しているの」とキラキラ光る眼で教えてくれた。やっぱりこの人は本当に教育が好きなんだな〜。子供が好きなんだな〜、と思った。

 

こうやって、2ヶ月の間に4人も職場の入っているビルで偶然にあったのだ。どう考えても私を勇気づけるためにこの人達が現れたような気がする。だって、ちょっとくじけそうになったときに出現してくれたんだもの。

 

守ってくれてありがとう、大きな力。

 

 

 

 

今日のメッセージは

実は、何かを考えていたり、どうしようかと迷ったときに「ふっ」と目に止まったものにメッセージや答えがかいてあるということがある。

 

ちょっとあやしい人かな?

 

今回見つけたメッセージはこれ。

 

 



「愛されているよ」

 

すっごくあたたかい気持ちになった。

 

意外にメッセージは身近にある。ぜひ周りを見てみて。

これで終わり。胃カメラの話

麻酔でコトンと眠りに入った息子をおいて、私はスタッフに術室から連れ出された。さっきの個室で待つのかと思ったが、どんどん歩いてメインビルからチルドレン・ホスピタルへの空中通路までやってきた。

 

スタッフは「じゃ」と言って去ってしまった。

 

しょうがない、ディ・ステイの部屋で待とう。

 

廊下で前の人がぎょっとした顔になった。

 

「?」

 

あ、しまった。まだPPEとキャップ、靴カバーをつけたままだ。

 

 

 

こんな格好で一般人の中に現れたら、そりゃぎょっとするよな。

 

しかし、息子のジャケット、大きな袋に彼のスリッパで私の腕は塞がれている。どうにかキャップとカバーはとったが、PPEは脱げない。

 

怪しい、PPEをまとった私は静かな顔を作り、ディ・ステイまで歩いて行った。ひゅー。やばい人だよな。

 

しばらくすると、私の携帯に電話が入った。カメラ担当医だった。

 

「食道、胃、小腸の入り口を確認できました。食道の下の方の粘膜が変化を起こしているところが見られました。バイオプシーで細胞を採りましたので、病理学の検査に回します。終わりましたよ、お母さん」と説明してくれた。嬉しい、すぐに様子を教えてくれて。

 

ホッとして、息子が帰ってきたときに飲ませる水や本を用意。すると、また携帯がなった。

 

「お母さん、息子さん今第二リカバリーの部屋に移しました。迎えに来てください」

 

え、どこだ、それ。説明してくれるけど方向音痴の私にはさっぱり頭にイメージができない。

 

「わかりました。途中まで迎えに来ますから、とにかくメインの術後の受付まで来てください」と切られた。

 

ひょー、何だ、結構ドキドキするぞ。会えるかな。

 

レセプションはわからなかったが、術後のエリアでキョロキョロしていたら、笑いながら丸顔アジア人の人が「ちょこ?」と声をかけてくれた。

 

それから、通路をあちこち曲がり、たくさんのベッドで目を覚ますのを待っている患者とそのとなりに様子見をするスタッフが座っていた。なんと、息子はもう半身を起こし、アイスブロックを美味しそうに舐めながら、ご機嫌でスタッフとおしゃべりしている。

 

「もう良さそうね」と看護師から告げられ、話を聞いていたスタッフが「じゃ、戻ろうか。お母さんついてきてください」と言われ、後ろを歩いた。

 

なーんか、他の子はまだ眠そうにトロ~ンとした表情で帰ってきてたぞ。なのに、息子はいつもよりもハッピーそうに「いや〜、寝ちゃった。しかもすごい清々しい感じ。起きたときにさ、あれ、ここどこ?あ~、病院じゃんって思ったんだよね」とか、本当に嬉しそうに話す。

 

「あの、ハッピー・ガスとか吸わせたんですか?」と思わず聞いてしまった。本当にそのくらい饒舌だった。

 

1、2時間様子を見て、異常なければ帰ることができるそうだ。だんなとは交代で朝ごはん食べに出たりしていた。私もお腹が減ったので、息子に後で食べさせるサンドイッチを買いにちょっとお散歩。

 

あ~、神様。ありがとうございます。息子、無事に検査を終えました。目も覚ましました〜。

 

結果は1、2週間かかるそう。さあ、息子のどこがどうなっているのか、この検査でわかるのか。もうずーっと頑張ってきてるもんね。早く対策を取れるように原因がわかりますように!

 

 

choukoureimamanz.hatenablog.com

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検査はあっという間、だけど準備がたくさん

7時の予約でレベル3へとエレベーターで向かう。いつも行く外来はレベル2なので、ちょっとドキドキ。

 

ディ・ステイ(日帰り)の病棟に入るにはボタンを押してドアを解除してもらわないといけない。厳重だ。

 

名前を告げると、今日時間を過ごす部屋はここよ、と案内された。入ると、すでに2組の親子が待っていた。

 

外はまだくらい。みんな早起きご苦労さま。

 

帰る前に撮ったディ・ステイの病室

 

リクライニング・チェアの後ろには万が一に備え、酸素などの用意もされている。すばらしい

まずはナースから個人情報の確認。

 

次にシアター(術室)のスタッフから、今日の検査の手順と予想される万が一の事故の可能性を説明される。

 

3番めに麻酔医師から、検査後考えられる副作用等を説明された。そして、

 

 

待つ。待つ。待つ。

 

 

10時前にナースが「大体さ、君は最後の方になってるのになんで7時に来るように言われたんだろうね。ね、アイスブロックとか食べたいよね。聞いてあげる」と言ってきた。

 

え、なに、まだ水やアイスブロック(アイスキャンディ)いいの?もちろん息子にください!と母は表情あらわに…。

 

息子は昨夜の夕飯以来何も食べていない。お腹へったよね〜。

 

10時半過ぎに「どうする?他の子みたいにベッドで移動する?歩く?」と聞かれ、歩くことに。チルドレン・ホスピタルからメインの病院ビルまで長〜い道のりを歩いた。

 

手術室の手前で、「お母さんもシアターに入ります?入るならこれつけて」と、シャンプー・キャップみたいなのと、靴の上からつけるカバーとPPEをもらい装着!息子もトイレに行き、準備万端。

 

シアター待ちの間に、母は写真を撮る。息子は「またか~」の表情。だって、これから手術や検査を受ける人が情報欲しいじゃん。すみませ~ん。母はブログ命なんです。

 

個人待合室にはトイレもある

 

ちなみにベッドで移動してきた人はシアター手前の待機所に集められていた。ベッドがたくさんひしめいていた。

 

シアターのスタッフが呼びに来た。いよいよだ。

 

歩いてシアターに入ると、カメラ担当医師が挨拶してきた。

 

術台に横になる息子。

 

麻酔の点滴の針を学生ドクターが手の甲の血管にさすがうまく入らず。息子苦い表情。何回かトライして、プロが「ここを圧して血管が浮いてきたところをすかさずブスッと行くのよ」、と指導。入った。

 

息子は鼻と口からもガスを入れられ、なんか朦朧。うーん、効いてきたのか。頭側にいる男のスタッフが「これ終わったら食べれるよー。何がいいかな」と気を逸らせるための質問をするが、息子は食べ物興味ないんだよねー、と心の中で思った。

 

寝た。

 

と同時に私はシアターの外に連れて行かれた。

 

頑張れ息子!

 

 

検査は無事に終わった

今朝は5時55分に起きた(この5分だけ早起きのところに自分の努力を感じている。眠いが準備しなくっちゃ〜。あはは)。

 

息子の胃カメラの日だ。朝7時の予約。全身麻酔。

 

ーーー

そういえば、日本で私も胃カメラをしたが、単純に電話で胃が痛い、食べても痛い、寝ても痛いと胃腸科クリニックに普通に予約した。時間に病院に着くと「じゃ、胃カメラ飲んで検査しましょうね」とその場で言われ、「痛くないようにお薬使いますね」とのこと。手荷物をかごに入れて、診察台に横になってまでは覚えているけど、起きたらなんとリカバリー・ルームにいてどうやら寝ていたらしい。リクライニング・チェアの一つあけた隣にはおじさんがいびきをかきながらまだ寝ている。

 

え、私寝てたわけ?それで、おっさんのほかは誰もいないこの部屋にいたわけ?え?なにかあったら大変じゃん。と混乱の頭でキョロキョロしていると、看護師が入ってきて「あ、お目覚めになりました?」とかる~く聞いてきた。

 

「あの、寝てたんですか?」というと、当然ですって顔をされた。

 

えー、もっと説明してよ。局所の麻酔かと思ってたよ。びっくりしたぞ〜。

 

しかも、この日は実家から自分の家に高速バスで帰る予定。このあとにバスに乗って(時間指定券を買ってなくて良かった!)、帰宅途中に支払いを予定していてバッグには現金十万円が入っていた。なくなってなくて良かった〜。

 

と言った思い出がある。

 

いきなり話がそれました!

ーーー

 

息子の検査は予め、「全身麻酔」と事前チェックの医師の面談で2週間前にしっかり説明も受けていた。

 

そのへんはニュージーランドはしっかりしているな。

 

7時の予約に間に合うようにチルドレン・ホスピタルに6時45分到着。これ以上は水も飲んでは行けないので、息子は水を一口飲む。

 

いざいかん。胃カメラよ、よろしくね。

 

次は、病院の様子をご紹介。