ちょこママnz

ニュージーランドでいろいろ感じること、ハッピーだなと思うことを書き留めたい。

そばにいない私はどうするのがいいのか

今年に入ってから91歳の母が、いよいよ認知症らしい周辺症状が出始めたようだ。ちょっと怒りっぽくなったり、トイレが間に合わなかったことがあったり。兄弟が地元にいるので、彼らから兄弟一斉メールで時折母の様子を知る。

 

まずは去年、中核症状が顕著になってきた。

 

母「XX(古い住所)の家はどうしてるんだっけ?」

兄「あれ?あれはもう売って更地になって今はマンションが建つ予定だよ。」

「そうなの?」

「引っ越したの忘れちゃった?」

「今は新しい家にすんでいる。」

 

兄弟たちも「あれ、いよいよか」と思ったそうだ。

 

 

コロナに一回かかっているが、それ以来「息苦しい」と時折訴えるようになった。コロナの後遺症の診療所、家庭医、大きな病院で診て貰うも、異常なし。なんとなく兄弟から聞く様子からして「パニック障害なんじゃ」と思ったので、彼らに「そのことも念頭において先生に聞いてみて」とお願いしていた。抗不安薬も少量だが出してもらっていたよう。

 

が、一向に改善せず、パルスオキシメーターで測っても微妙な値らしく、兄たちも困っていた。

 

そして、ついに精神科の病院でもの忘れ健康相談をやっているところを紹介され、今回行ってきた話をメールで貰った(と言うか、まだ認知症の専門家に診てもらってなかったんだと驚いた)。

 

以前大きな病院でとったMRIの画像をみて、若い医師は「海馬が少しだが萎縮している」と指摘。大きな病院では何も指摘されなかったのに、と言うと「自分は認知症の専門家なので」と言ったそうだ。

 

私が息子がパニックを起こしそうなときに、「あ、息苦しいんだね。じゃ、座ろうか。お白湯でも飲んで、ゆっくり呼吸しようか」と促していた経験を話していたので、兄たちも試しているらしい。その話をすると、先生は「いい感じでやっていると思います。その時に、背中をさすって、『大丈夫だよ。そばにいるから大丈夫だよ』としてあげると、より落ち着くと思いますよ」と実践的なアドバイスをくれた。

 

先生によると、パニック障害ではなく、認知症の患者さんに多く出る「不安」感だそう。夜中だけでなく、昼間でもふとした瞬間に「あ、自分は一人だ」と気づき、「あ、不安だな。あ、なんかドキドキしてきた。息苦しい。あ、死んじゃうんじゃ」とどんどん不安を大きくしていくらしい。だから、大丈夫だよ、と声かけながら、非常に少量の不安を和らげるお薬を「お医者さんからもらった薬だよ。これで息苦しさが良くなるよ」特に「医者がくれた薬」を強調して摂るのが効くらしい。そして、しばらくこのようにやってみて、薬を摂ると落ち着くようなら、またしばらく様子を見てこんなふうにするらしい。

 

お薬をある時期から、ミンティア(お菓子)に置き換えてみる。

 

本人は、「医者からもらった薬。効く薬」と信じているので、意外にも多くの患者がミンティアでやり過ごせるようになるそうだ。驚き。これはもちろん医師の指示が出てからだ。

 

地元にいる兄弟には感謝している。病院に付き添い、ケアマネジャーと連絡を取り、日々のお世話。

 

私には直接できることが少ない。

 

先日、「北海道の海鮮7品」の冷凍を送ったがまだ食べていないそう。解凍してお刺身で食べたり、調理済みで温めるだけで食べられるものを選んだが、「夕飯は買ってくる」お弁当らしく、なかなか食べる機会がないよう。あ〜。

 

そこで昨日から始めた。私が都合のつく時間帯に積極的にスカイプで話しかける。

 

私がスカイプ交信をオンにすると、母の家の食卓においてあるタブレットが自動で受信オンになり、家の様子が見れる。マイクもオンになっているので、「お母さん!」と話しかけると、母がのそのそとテーブルまで来てくれる。そして、世間話。ほとんど私が話しかけたり質問したり、母がたまに返事をする。「忘れた。わからない」が結構出てくる。

 

後期高齢者のイラスト(女性)

 

実は、母は私のことはあまり好きではない。だけど、年を取って今認知症が出て、そのへんのことはうやむやになったらしい。話しかけても嫌ではなさそう。

 

ということで、私が空いている時間、家事をしながら声がけをすることにした。

 

久々に見る母はずいぶんと動きが緩慢になり、おしゃべりの反応もゆっくりだった。これからはたくさん言葉のシャワーを送ろう。あ、疲れるかもね。そこは、様子を見ながら、ゆっくりと関係を作っていこうと思う。

 

 

認知症の症状。まずは中核症状が出て、周辺症状へと広がる。

 

 

 

出典元 認知症の周辺症状を知ろう