ちょこママnz

ニュージーランドでいろいろ感じること、ハッピーだなと思うことを書き留めたい。

海外出産。勇気を出してSOSを出してよかった。

23日の続き

産後鬱協会のスタッフが家に来てくれた。彼女はまだ30代で14歳女子のママ、産後鬱経験者。赤ちゃんの健康状態、私の心と体のアセスメント、おかれた環境等大まかにチェック、問診が行われた。結果は、「このままだとこの人はあぶない。なんらかの助けを必要とする」だった。

当時は疲れすぎて頭が回ってなかったので、細かいことは覚えてない。が、次の関係各所から連絡がきた。

  • 病院のコミュニティー・メンタルヘルス
  • 生活支援
  • 赤ちゃんのお世話の仕方支援
  • 母乳のやり方支援

助けがもらえると聞き、ほっとしたが、大変だった。なぜかというと:

  • 各団体のアセスメントを予約する電話連絡が来て、それぞれの支援の概要を説明される。が、頭に入ってこない。とにかく、予約の日時と団体名をダイアリーに書き入れるので精いっぱい。
  • 各団体のスタッフが訪問、実際のアセスメントを受ける。これまたたくさんの質問がなされる。このほか、生活支援のスタッフが安全に働けるかの家のチェック。

助けをもらうためにはつらくても、頑張らなくてはならない。私と息子のためだ。ここで頑張らないとだめになる、と言い聞かせどうにかベッドからはい出し、椅子に座る。この時に感じたのが、「病気になるにも体力がいる」ってこと。倒れる前にSOS出さないといけなくて、SOS出すにも体力・気力がいる。だから、まだ少しエネルギーがあるうちに出すべきだ、と痛感した。

 

病院からコミュニティー・メンタルヘルスの人が二人来て、100以上の項目のある質問をした。読むだけの気力がない旨いうと、一つ一つ読み上げてくれた。もうろうとしていたが、それでも気づいたのが同じ内容の質問を違った表現で何度も何度も聞いていた。それは、

  • 母親が自殺を考えていないか
  • 子供に危害を及ぼそうとしていないか

だった。私はこの二つは考えていなかったが、当時は、「このテストの結果で、この母親はあかちゃんをお世話するだけの資質がない」と言うことで、息子を国に取られてしまうかも、だった。今思うとかなり精神的に追い詰められていたと思う。

最後のほうは、もう耳から入った情報を何回か頭の中で再生し考え、やっとイエスかノーか答えていた。情報が耳からこぼれ落ちるのを必死で入れなおしている感じ。ちゃんと座ってられなくて、だんなが横にいて支えてくれないと座ってもいられない。

すべての質問が終わって出た結果は、産後鬱ではなく「Extreme exhaustion(極度の疲労)」だった。鬱ではないが、その一歩手前で、今助けなければ明日にでも鬱の世界にどっぷり入り込むことが容易に想像できる状態。

私を助けてくれたサポート。

  • 生活支援:(産後鬱を経験した少し年上のスタッフ)週に1時間x2回の家事のサポート(計2週助けてもらった、計4時間)。私は、バスルームの掃除、掃除機かけを手伝ってもらった。家の中が整頓されている、と言うのは精神的にすごく助かった

  • 赤ちゃんのお世話の仕方支援:(私と同じ年で出産したスタッフ、うつ経験ではない)週2回x3時間(計3週、18時間)なかなか寝ない(おなか減ってたからね)子だったので、抱っこ以外の方法で寝かしつける方法を教えてくれた。私が少しでも落ち着いて休めるように、息子を連れて外に散歩に行ってくれた。強く言われたのは、「どんなに赤ちゃんのことで忙しくとも何か一つほっとすることをしなさい」だった。家にはソファーとかもなく、キッチンの椅子に座って授乳していたので、彼女が自分の家のアームチェアーを貸してくれ、古いガーデンや家のデコレーションの雑誌を数冊くれ、一日に一度この椅子に座りなさい、と優しく言ってくれた。

  • 病院のコミュニティー・メンタルヘルス:最初のアセスメントが終わると一旦は見守るように後ろで見ている。だが、週末と祝日には必ずナースが「どうしてる?」と電話をくれた。これが本当に助かった。どんなにママ友が顔出ししてくれていても、やはり週末は誰だって自分の家族でのんびりしたい。心細くなったり、人恋しくなってもやはり電話はしちゃいけない、と我慢した。そんなときに、どーんと「私たちだけここにこうして暗い状況にいる」と考えてしまうのだ。そんな時に、「なんか心が変だな、とかさみしいとか思ったら24時間開いてるから、電話してくるんだよ」ってナースが声かけてくれるだけで、「一人じゃない。誰かが気にかけてくれている」と思うとまた力が少し出てくるのを感じた。

数字だけ見ると、合計4時間とか、6回の訪問のように短い期間に見える。だが、彼女らが家に2〜3週間、数時間来てくれたおかげで私はみるみる力を取り戻した。洋服に着替え、だんなに息子との写真を撮ってもらうよう頼む元気も出た。分けてもらったおかず以外に調理する元気もでて、家の中を歩き回る元気が出た。

あの時SOSを出してよかった。もし、してなかったら、今の私はいなかったかも、と思うと怖い。

お産ではニュージーランドの病院ってさっさと退院して、って感じでよい印象ではなかった。だが、一旦新米ママと赤ちゃんが危ない、となってからの支援、特に支援グループ同士の連携プレイがすごいなと思った。もし、日本で同じような状況でもこんなに助けがあるのかな?

ニュージーランド、助けてくれてありがとう!

*これらの支援が今も行われているかはわかりません。念のため。