今朝、ボランティアをしている施設からテキストが来た。
「Bさん、あと1,2時間くらいしかここにいないから会いたかったら来る?」だった。
10日ほど前、40代半ばの彼女が末期がんの宣告を受け、病院から施設に戻ってくるという知らせをもらったばかり。先週金曜日に彼女のお部屋へ行って「来たよー。頑張っているねー。またお見舞いに来るからねー」とボランティア仲間のCさんと訪ねたばかりだった。彼女はうっすらと目をあけ、多分私たちの顔を判別しようとしているのがうかがえた。でも、目を動かすのもきつそうだった。
私は今朝のテキストを「施設から自宅に移動する」と受け取って、ならば会いに行こうと車を出した。
施設につくと、私があまりにも楽観的だったことが分かった。「ここにいない」は天国に行くってことだった。もうすぐ逝ってしまうから、最後に挨拶をしておきなさい、だったのだ。
私は過去、友人の末期がんのホストマザー(友人が帰国しても私に声をかけてくれていた)の姿を見たときに、とても動揺してしまった。本人がこんなに頑張って毎日を生きているのに私は怖いと思ってしまったり、涙を流してしまう。こんな自分が近くにいてはだめだ、となぜか強く思い、結局それ以後会いに行かなかった。
きっと、ショックだったのとどう心の対処をしたらいいのか、若かったので対応できなかったのだろう。近づく人間の死をどう受け入れていいかわからなかった。会いに行かなかったことを、今では後悔している。
今なら、彼女の前で涙を流しても、そばに行って肩をさすったり、楽しかった日のことを話せばよかった、と思っている。
自分が病気を経験したからかな。病気になると心細くなる、誰かにそばにいてほしい、と言うのが強くなる。その人が取り乱してしまっても、誰かがいてくれると一人じゃない、と思えるのだ。
今日は自分の感情を素直に出して、それでも、さよならをちゃんと言ってきた。
人生、大きな流れが来るときは本当にあっという間だ。今、生きている瞬間を大事にしよう。
Bさん、私に最後に会う機会をくれてありがとう。覚えているからね、いつまでも。