ちょこママnz

ニュージーランドでいろいろ感じること、ハッピーだなと思うことを書き留めたい。

やっぱりキーワードは「つながり」だと思う

今朝はうれしい連絡が入って、とてもうれしくなった。

ドイツ在住の友人Rさんから、「ブログに街中トイレ情報書いてたでしょう。友達がウェリントンに行ったときに、そのうちの一つを利用したって~」と連絡をくれた。きゃー、うれしい。自分が発信したプチ情報で実際に誰かが使ってくれたー。私はその方にあったこともない。だが、友人を通して、インターネットと言う便利な通信手段でつながった。30年前ならまずありえなかっただろうな。友人経由でのお礼のコメント、確かに届きましたよー、ありがとう!

 

私がニュージーランドに初めて来たのは1990年(30年も前だー)。その時は、友人に連絡というときは、手紙(航空便で4-7日間かかる)か高ーい国際電話。1分300円くらいだった。ファックスは企業では普及していたけど、当時のニュージーランド家庭にはほとんど普及していなかった(日本ではたしか実家にファックスあったと思う)。

ついてすぐはやはり友達が恋しいし、手紙では時間がかかりすぎるから奮発して30ドル(私の物価感覚で3000円)のテレカを買って電話をした。

友人は、興奮して「えー、うそー、ニュージーランドから?えー、映画みたいに相手の声が時差で届くって本当だー。うわー、はっきりきこえるよ!」と一気に話す。わー、どんどんテレカの度数が減って、しゃべりたいこといっぱいあるけど興奮しすぎていて、私が口はさめなかった。あはは。結局「無事についたよ。少し慣れたよ。やっぱり食事は日本がいいよー」くらいの会話しかできなかった。でも、お互いに北半球と南半球で元気にしているというのが分かってうれしかった。

日本の情報はほとんど入ってこなかった。街にある日本人観光客がたくさん立ち寄るお土産屋さんがファックスで共同通信の情報を毎日入手していた。そこにつてがあった友人がコピーを回してくれ、「へー、今首相変わったんだ」とか「あ、歌手のxxさん、結婚したんだ!」とか隅々まで読みつくしたな。懐かしい。

今は、ネットで調べれば日本にいる人と同じタイミングで情報が入手できる。電話だって、WhatsAppなどを使えば顔を見ながらただでしべれる。変わったものだなー。

実家が地震で連絡がやっと取れたときに、まずやったのはネットで食品、水を買って届けた。その時ほど、ネットのありがたさを感じたことはない。

 

朝、ウォーキング仲間のSさんと話していて、あ、やっぱりここでも「つながりだ」と思った。

彼女のだんなさんはシリア人SSさん。若いときに普通に移民としてやってきた。彼の友人が4年前にシリアを脱出して家族を連れてウェリントンにやってきた。子だくさんで頑張って働いていたが、昨年病気で倒れて仕事ができなくなってしまった。今、家賃が上がって週に700ドル(私の感覚で7万円)を福祉のお金をもらっても払うのが厳しい。なので、SSさんが時折コーヒーでもと誘ってそこで少しお金を渡すのだ。ほかにもシリアから脱出した友人数名が似たようにして彼を支えているらしい。

あー、うれしいだろうな。私にはわかる。このくらーい状態にいるのを誰も知らない、と思うとどーんと落ち込んで、もう先が見えなくなってしまう。だけど、誰かがちょっと声をかけてくれたり、様子を見に来てくれたり、必要なものを少し分けてくれると、「ひとりじゃない。誰かが自分のことを思ってくれている」と思って、厳しい状況を乗り越えれるのだ。

シリア人のコミュティもみな楽じゃない環境でも、思いやって助け合っている。

誰かと「つながっている」って、いいなー。

このブログを読んで、私とつながってくれているみなさん、ありがとう。