ちょこママnz

ニュージーランドでいろいろ感じること、ハッピーだなと思うことを書き留めたい。

ありがとうHちゃん

オーストラリアに住んでいた時の友達から連絡が来た。

 

突然だった。共通の友達Hちゃんが亡くなったという連絡だった。

 

Hちゃんは同じ出身地で、実は中学も一緒だったが知り合ったのは大人になってから。当時英会話スクールに通っていて、時々「今日は行かずに、バーに行こうよ!」と誘ってきて手品をやってくれるバーに行ったり、インドチャイの美味しい変わったお店に行ったり。とても派手な洋服が好きで、チェックにドット柄を合わせるなど、私にはない大胆なところが好きだった。

 

子供の頃から「家を出たい。海外に行ってみたい」と思っていたが、どうやったら住めるのかわかっていなかった。Hちゃんが突然「ワーホリにいってくる!」と言って、あっという間に日本をでたとき、「あ、そんな手があるんだ!」と知った。

 

結局、私はニュージーランドに留学することした。いきなり知らない国に行くけど、まだ心の準備が不十分だなと感じたので、Hちゃんに手紙を出し、一週間一緒に住まわせてもらうことに。

 

留学を終え、就職も決まったがビザの関係でニュージーランドに帰ってこれるのは1年先となったとき、Hちゃんが「来なよ」と言ってくれたので、半年間シドニーに住むことにした。

 

いっぱい遊んだ。日本の学生時代はお金がなかったが、日本で4年半働いて貯めていたので(しかも、全額なぜかニュージーランド・ドルに換わっているし)、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、買いたいものも買える。大人だから誰に指示されることもなく、自分で決めていい。楽しかった。

 

Hちゃんは友達が多かった。日本人はもちろん、いろんな国からやってきた学生、働いている人、男女ともにいろんな知り合いがいた。そして、友達と友達を繋げるのも上手だった。今思うと、かなり寂しがり屋のHちゃんだったので、他の人が寂しくないように繋げてくれていたんだと思う。いつもあたたかだった。

 

だんなと知り合って、たまたまシドニーに出張で行くときに同行し、Hちゃんとだんなさん、ふたりの息子くんたちと会った。幸せそうだった。彼女は、おばあちゃんとお父さんに育てられていて、お母さんが恋しかったと思う。だから、自分の家庭を持てて、子供を育てて、とても嬉しいだろうなと思った。

 

その後、私も結婚し、出産で体力が落ち、立ち上がるのに必死。そして、だんなの仕事も手伝っていたので、余裕がなくなり、だんだん連絡をしない期間が伸びていった。

 

だのに、久々に入った連絡がHちゃんはもういない、という悲しいお知らせだった。

 

もっと早く連絡しとけば良かった。あんなにたくさん良くしてくれたのに。後悔しても遅い…。

 

悲しいけど、思い出すのは楽しい思い出ばかりで、なんか幸せな気持ちにもなった。不思議だ。思い出のHちゃんは、大きな目をパチクリしながら表情をコロコロかえ、あの頃と変わらず元気だ。

 

Hちゃん、ありがとう!いっぱいよくしてくれて、いつもあたたかく接してくれてありがとう。いっぱい遊べてよかったよ。

 

私ももっと自分の体をいたわるよ。Hちゃんのことはずーっと覚えているからね。ありがとう!

 

 

 

 

Hちゃんは白地に大輪の真っ赤なバラがあしらわれたコートが好きだった

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