ちょこママnz

ニュージーランドでいろいろ感じること、ハッピーだなと思うことを書き留めたい。

やっぱり私の感覚は間違ってなかった、ほっ

今日はだんなの友人Iの誕生日。毎年彼の家でバーベキューをする。彼は友人が多く、しかも若いのに近所の若い夫婦たちと中がよく数名のご近所家族も参加。イギリスから毎年やってくる彼のママもいて、それはそれは盛大。

 

だんなも私もパーティでのおしゃべりは苦手。だけど、キィウィたちは本当におしゃべり好きで、よくそんだけ長く喋れるな〜、と思うくらい喋る。

 

もちろん、ティーンエイジャーの息子も「色んな方向から、いろんな話題が聞こえてきて頭ごちゃごちゃ」って言って大変そう。わかる、わかる。そうか、一つの話題で盛り上がっているわけじゃなく、それぞれが大きな声でガンガンに、しかも声が重なり合うような形で喋っているから頭がパニックになりそうになるんだ。納得。しかも、彼はネイティブだからすべてが耳にはいって来て、意味もわかる。私なんて「へー、よく喋るな〜」と右から左でもこうなんだから、そりゃ大変だろう。元々彼はたくさんの人が集まるところは苦手。わかったよ、息子。

 

息子を誘って家の中へ。するとIのママも家の中にいて、「あ~、つかれる。私そんなに社交家じゃないから毎年この日が辛いのよ〜。だけど、Iの誕生日だから一緒に祝いたいし。明日は片付けで大変だし」ともらしていた。そうなんだ、てっきり彼女もワイワイ、ガヤガヤが好きだと思っていたよ。良かった、仲間だ。

 

親に連れられて小学生くらいの男の子4人、女の子一人が家と外の中を走ってでたり、はいったり。あ~、すごいエネルギー。しかも、Iの部屋に行って机の上でジャンプしたり、コンピューターを踏んづけたり、好き放題。

 

女の子とIのママで「私達は警察よ」と言いながら、ボーイズたちの行動に目を光らせていた。

 

あるとき、ポロリとIのママが言った。

 

 

親は一体どうして自分の子供のことを見ないのかしらねと。

 

 

あ、これ、私もずーっと思っていること。公園にいても、子供だけワーワー走り回って、結構危ないことをしていてもお母さんは見ていない。特に、他の子にちょっかい出したり、並んでいるのがわかっているのに自分の子が横入りしても気づかないか、気づいても何も言わない(人が多かった)

 

それを友人(アジア人でない)に言うと、「子供が自立しなくっちゃ。親が色々言わないの」と言われ唖然。でも、どうやらそうらしい。幼稚園の先生くらいだ、「ほら、順番ね」とか、「叩いちゃだめ。謝ろうね」とか。

 

だから、息子が小さい頃公園に行くのは、実は嫌だった。だけど、遊ばせたいし、兄弟がいないから公園で色んな子と遊ばせて「人と関わる」に慣れてほしいな、と行っていた。だから、毎回疲れた。

 

 

だから、イギリスもそうなのかな、と思っていたらIママがポロッと言ったので、「ね、やっぱりここの親って自分の子を(せめて目の端で)見ていないよね」と言うと、声を更に低くして「そう。本当に、道路にでていってしまいそうなのに全然見ていない。私が気になって目で追っているから疲れちゃう」と。

 

なるほど、ま、世代が違うということもあるけど、ニュージーランドって気楽なのは良いけど、子供の身の安全に関してはもっと気を引き締めてほしいな。逆に私みたいに自分の子を目で追っていると、他の子の危険も察知しちゃってハラハラ、ドキドキ、時に「危ないよ〜」と声がけするので疲れるのか。なるほどね。

 

長年、「私って心配しすぎの親なのかな」と疑問に思っていたが、小さい子が遊ぶ時に目で追っている、見守っているはやっぱり間違っていなかった。もちろん、そう思っていたが、こうも周りが「子供の自主性、自立」って言っていると自分が間違っているような気になっていた。いや、子供が色々判断できるまでは目を離さないが大切だ。

 

うん、私は間違ってなかったよ。

 

次の言葉を聞いたことありますか?私はこれって親として大切なことだと思う。


 乳児は肌を離すな
 幼児は手を離すな
 少年は目を離すな
 青年は心を離すな

 

そして、日本の子育てってまさにこれをやっていると思う。私が知っている限りは。息子は今、青年期。干渉しすぎず、でも心をつなぎ続けるを心がけよう。