ちょこママnz

ニュージーランドでいろいろ感じること、ハッピーだなと思うことを書き留めたい。

やっぱり、無理をしていたのかな?

昨日、息子のY10(日本の中学3年)の選択科目を決めるのに親子三人で話し合いをした。

 

他の教科はすんなりと決めたが、外国語をどうするか、今ひとつ決め手がない息子。お試しで、Y9の半年をスペイン語でやってみたが、うーん今ひとつ、だったらしい。

 

選択肢は、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ラテン語、中国語、日本語、マオリ語。

 

息子は最終的には、ドイツ語を選択することに決めた。(実は、息子はドイツで一言もドイツ語を話さなかった。詳しくは、また別の機会に書くと思う。だんなも私ももう彼は一生ドイツ語が嫌いになったのでは、と思っていたので選択しようかなと言ったときには心踊った。今の彼は聞く、読むはできる。最後にドイツ語を話したのは小学校に入る前まで。5歳で英語脳になった。)

 

そこで、私は意気揚々と「こんなときのためにとってたよ〜。」とドイツ語の参考書や辞書を持ってきて見せた。あれ、だけど私が一番気に入って使っていた文法の一覧表がどこにもない。

 

だんなのオフィス部屋と居間の本棚を見るが、なし。あ。捨てたかも。

 

昨年そう言えば、断舎離した。移民のための学校に通ったときのテキスト本を2冊、大切に持って帰っていた。手にしたときに、あんなに頑張ったのになー、クラスでも結構いい成績あげてたのになー、と言う思いがこみ上げてきた。

 

アフガニスタン、ロシア、イラク、イタリア、ギリシャ、南アフリカ、トルコ、ハンガリーのクラスメートの顔を一人ひとり思い出した。

 

初めて受けた大きなテストも結構いい成績だった。だが、それを受けた日の午後、乳がんの宣告を受けた。

 

そして、迷う暇など与えられず、1週間後の手術の手続きをすることに。もうバタバタ。

 

手術のあとも、5月後半から7月頭まで放射線治療があったので、結局、学校はたったの3ヶ月で休学することに。あー、一年間一緒に頑張りたかった。あの調子でバリバリ勉強してたら、話せるようになってたよね、とがっかりはしたが、自分では上手に乗り越えてきたつもりだった

 

テキストブックやノートを見ると、これからもこんな感情が湧き出てくるだろうな、と思いサヨナラすることに。

 

 

お気に入りの文法の一覧表を見つけられなかったことで、その時の感情が4年経った今頃出てきた

 

自分ではただ「捨てちゃった」、と説明するつもりだったが、なんと涙が出た。あー、きっともっと頑張りたかった、クラスメートと一緒に終了したかったと悔しい思いを我慢してたのかな?

 

いいや、悲しい感情は出したほうがいい。

 

息子は、黙って涙が止まるまで見守ってくれた。

 

だんなはすぐにそばに来て、背中をさすってくれた。

 

自分では、上手に乗り切ったと思っていたが、やはりがんの宣告と、いきなり手術、治療とかなしさを感じる暇もなく、ただただ乗り切ったのだと思う。

 

涙を流したら、なんとなく、ちょっとだけスッキリした。

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生検の結果を待った頃は、ちょうど春。友人とこのお城の

そばの桜を見ながらお花見をした。

 

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息子の最初の学校。